本のおさかなさん

小説、詩、エッセイなどの本の中からから、魚や水生動物を集めた辞書型水族館です。

さかな

ロブスター

イアン・ギティンズ、中山啓子 訳『ビョークの世界』河出書房新社

熱情的なティンパニの音が朗々と響き渡り、《ヒューマン・ビヘイヴィアー》の口火を切ると同時に、ビョークが独善的で片意地な、いたずら好きのシュガーキューブスと相反する独自の感覚的なステイトメントを表明していることは誰の耳にも瞭然とする。この洗練された、賞賛せずにはいられない新生ビョークに大きな失望を感じるのは、バスタブ、ロブスターや神に寄せる、よりシュールなオードを期待した人々に限られる。


キンギョ、ワキン、リュウキン

岡本かの子「金魚撩乱 」『きんぎょ』ピエ・ブックス

その設備の費用や、交際や、仲に立って狡計を弄する金魚ブローカーなどもあって、金魚のため――わずか飼魚の金魚のために家産を破り、流難荒亡するみじめな愛魚家が少からずあった。この愛魚家は当時において、ほとんど狂想にも等しい、金魚の総ゆる種類の長所を選り蒐めた理想の新魚を創成しようと、大掛りな設備で取りかかった。
和金の清洒な顔付きと背肉の盛り上りを持ち胸と腹は琉金の豊饒の感じを保っている
鰭は神女の裳のように胴を包んでたゆたい、体色は塗り立てのような鮮かな五彩を粧い、別けて必要なのは西班牙の舞妓のボエールのような斑黒点がコケティッシュな間隔で振り撒かれなければならなかった。


ランチュウ

北原白秋、高野公彦 編「白南風 」「春の銃眼 」『北原白秋歌集』岩波書店

夜の風の息づきの間や下り沈む蘭鋳の尾鰭ひらきゆるがず


ライギョ

ジェイムズ・ジョイス、柳瀬尚紀 訳『フィネガンズ・ウェイク 1・2』河出書房新社

しかしなお、耶蘇らかに眠る輪郭の雷魚の姿が見えはしまいか、かつて雷龍に愛されいま鉾龍に脅かされる虹鱒川の菅辺でわれらが夜を過ごすときさえも。営地ニテ椎ヅカニ遺ータイトナレリ。安ラクニ並ラビソウ璃美ナルムスメ有リ。旗ばた娘だろうが鰭ひら娘だろうが、ぼろ臭だろうが晴れ妓だろうが、金うなりだろうが銭乞いだろうが、かまうものか。ああ、たしかに皆が愛するあばずれアンナ、いやつまり、雨連れアンナ、波傘さして、しっこり濡れてじゃぶじゃぶと、あんな阿呆山羊みたいに歩いて行く。


オマールエビ

巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』筑摩書房

つまり人称をあらわす「私」とか「われわれ」といった主語もなくなり、時制もなくなっちゃうわけだから、最高度に猛烈なスピードで書いたときにどういう文章になるかというと、名詞と、動詞の原形と、形容詞と、せいぜい前置詞くらいしかない文章というのがあらわれます。ひとつだけ思いついたのを引用してみますと、こんなのがあります。日本語に訳すとなんだかわけのわからないものだけれども、「シュザンヌの硬い茎、無用さ、とくにオマール海老の教会つきの風の木の村」という一行のもので、動詞も主語をあらわす人称代名詞もない。


オットセイ

中松義郎『ドクター中松の・頭をもっと良くする101の方法』KKベストセラーズ

オットセイの雄は、精力的で数多くの雌をしたがえているところから、オットセイのペニスを粉末にしたものを好んで服用する日本人がいるが、これは何の効果もない。ペニスは筋肉と海綿体組織によって構成されるのであって、生殖機能の源ではないからである。
では、頭に効く食べ物の素材はあるのだろうか。中国風の考え方をすれば、動物の脳を食べればいいということになり、また事実、世界には猿の脳味噌や羊の脳味噌を使った料理がある。しかし、それで効果があるとしても、猿や羊の頭脳程度の頭でしかない。では、大天才の脳味噌を食べればどうか。あいにく、そのデータはない。


オタマジャクシ

チャールズ・R・クロス、竹林正子 訳『Heavier Than Heaven a biography of KURTCOBAIN』ロッキング・オン

その月、カートとディクソンはオリンピア郊外の採石場まで泳ぎに行った。カートは何十匹ものオタマジャクシを採って家に持ち帰ると、水槽に入れて亀に食べられるのを大喜びで見ていた。「ほら」とカートはディクソンに話しかけた。「小さい腕や、破片やら、いろいろ浮いてるぞ」。羽を傷つけた鳥を助けてあげた少年が、今ではオタマジャクシが亀に食いちぎられるのを喜んでみつめているのだ。


オコゼ

澁澤龍彦「遠隔操作 」『唐草物語』河出書房新社

店の奥の壁の上に、品書の木札がぶらさがっているのを目ざとく見つけて、女房がはずんだ声でささやいた。
「あら、おこぜがあるわ。おこぜのから揚げ、食べたい。」


オオカミウオ、ヒラメ

ジャン=ピエール・ガッテーニョ、松本百合子 訳『青い夢の女』扶桑社

ぼくは何も言いたくなかった。折よく、店員が料理を運んできてくれて助かった。このレストランに来たら、それしか食べないかのように、フロランスはまたしてもオオカミウオのグリル、ぼくはヒラメのムニエルを注文していた。店員は皿をそれぞれの前に置き、「どうぞ、ごゆっくり」と言って立ち去った。


ノリ

藤沢さとみ『ハーフラバーズ』近代出版社

部屋に入って、母がお土産に、と持ってきた「かしわ弁当」を食べ始めた。ひと口食べたら、涙がこぼれた。母の泣く姿。やっぱり許してもらえないのかな?女として、生まれ変わってはいけないのかな?母の小さく震える後ろ姿が、目の奥に浮かんでは消えた。
甘く味付けされた鶏肉と錦糸玉子、それから刻み海苔、きれいな三色のこの駅弁が子供の頃から大好きだった。頬ばるたびに、記憶の中の懐かしい母の匂いがした。


ノリ

武田百合子「お弁当 」『ことばの食卓』筑摩書房

おべんと御飯(煎り卵ともみ海苔の混ぜ御飯)か、猫御飯(おかかと海苔を御飯の間に敷いたもの)であれば、私は嬉しい。


ノリ

佐野洋子「バチが当たった 」『ふつうがえらい』新潮社

私が一番好きなことばは「神は細部に宿る」というもので、米の飯が銀色にねっとり光っていたりすると、実に神は細部に宿っていると思い、「ほっ、ほっ、おいしい」とのりのつくだ煮などをのっけて、うれしいのである。


ニンギョ

トーベ・ヤンソン、山室静 訳『たのしいムーミン一家』講談社

へさきのまわりでは、おひめさまの人魚や男の人魚がダンスをし、空では白い大きな海鳥が、輪をかいてとびちがいました。


ニンギョ

チャールズ・ブコウスキー、青野聰 訳「人魚との交尾 」『町で一番の美女』新潮社

長い金髪の女。人魚にそっくりだった。きっと彼女は人魚だったんだ。ついにトニーは波のむこうに死体を押し出した。静かだった。夜明け前のひととき。彼は少しのあいだ彼女といっしょに波間にゆれた。静寂があたりを支配した。時間のまっただなか。そして時空をはるかに超えた時間のなか。


ニンギョ

チャック・パラニューク、池田真紀子 訳『ファイト・クラブ』早川書房

マーラは一つ目のしこりを発見した直後から互助グループ通いを始めた。
二つ目のしこりが見つかった翌朝、マーラはパンティストッキングの片足に両足を突っこみ、ぴょんぴょん飛び跳ねながらキッチンに姿を現わした。「見て、人魚よ」
マーラは言った。「男の人がトイレに後ろ向きに座ってオートバイだって言い張るのとは違うんだから。これは純粋な偶然」


ニンギョ

オリヴィエ・ドゥブロワーズ、加藤薫 訳「ローラ・アルバレス・ブラボとシュルレアリスムの精神 」『フリーダ・カーロとその時代展カタログ』東京新聞

詩情溢れる彼女の「非コマーシャル」的な写真には、潜在的に「シュルレアリスムの精神」と通底するものが内包されていたと控えめに言うしかないのに対し、これらコマーシャル的な写真作品では、はっきりと意識的にシュルレアリスムの手法を取り入れていたように思える。この事例としては、オリベッティ社のタイプライターの広告を取り上げるだけで十分だろうこの作品は、1940年にアカプルコの浜辺で撮った魚の写真をトリミングして、タイピストとなった人魚の下半身に使っているが、この異種結合の発想は私たちに想像を超えるものだ……。


ニンギョ

フランツ・カフカ、池内紀 訳「人魚の沈黙 」『カフカ短篇集』岩波書店

ところで人魚たちは、歌よりもはるかに強力な武器をもっていた。つまり、沈黙である。


ニンギョ

アンデルセン、大畑末吉 訳「人魚姫 」『アンデルセン童話集1』岩波書店

ことに、末の人魚姫の声は、だれよりも一番きれいだったので、みんなは手をうってかっさいしました。姫は、陸の上でも海の中でも、自分ほど美しい声を持っているものがないと思うと、一瞬間、心に喜びを感じました。けれども、すぐまた、上の世界のことが思い出されるのでした。


ニンギョ

星新一「お寺の昔話 」「満月 」『つねならぬ話』新潮社

「満月の夜の人魚を食べると、人魚になってしまう。その言い伝えは、本当だった。あの二人が、そうなるとはな。人魚はとるなと、みなに言っておくか。ご領主さまも、そんなお考えなのだし……」


ニンギョ

倉橋由美子「人魚の涙 」『大人のための残酷童話』新潮社

王子様の体の下半分は人魚姫のもので、魂も別々で、つながった体の中で魂同士話をすることができました。ただ、人魚姫の要求があると王子様はその手を使って人魚姫の一番女らしいところを慰めることはできましたが、人魚姫には王子様にお返しをするすべがありませんでした。