本のおさかなさん

小説、詩、エッセイなどの本の中からから、魚や水生動物を集めた辞書型水族館です。

さかな

ウミガメ

ガルシア・マルケス、木村榮一 訳「うしなわれた時の海 」『エレンディラ』筑摩書房

真夜中近くになって、ようやく二人は家にたどり着いた。クロティルデを起こして、湯を沸かすように言いつけた。ハーバート氏が海亀の首を落とした。亀を料理していると、突然心臓がぴょんぴょんとび跳ねて中庭にとび出していったので、三人がかりで追いかけて、止めをさした。三人はたらふく食べた。


ウミガメ

ヘミングウェイ、福田恆存 訳『老人と海』新潮社

老人は海亀が浮き袋を食うのを見るのが好きだ。


ウミガメ

村上春樹「フリオ・イグレシアス 」『夜のくもざる』新潮社

蚊取線香をだましとられたあとでは、もう海亀の襲撃から身を守る手だては何ひとつ残されてはいなかった。電話か郵便で通信販売会社から新しい蚊取線香をとりよせることもためしてはみたのだが、思ったとおり電話線は切断されていたし、郵便も半月前から途絶えていた。考えてみればあの狡猾な海亀がそんなことをやすやすと許すわけがない。


ウミガメ

北原白秋、高野公彦 編「雲母集 」「新生 」『北原白秋歌集』岩波書店

水の面に光ひそまり昼深しぬつと海亀息吹きにたり


ウニ

アンドレ・ブルトン、入澤康夫 訳、澁澤龍彦 編「地の光 」『夢のかたち』河出書房新社

死んだばかりの動物が示していた最大の特徴は、その二つの目が、はなはだ奇妙にも、たがいに相違しているという点だった。
一方の目は完全につやがなく、海胆の殻にかなりよく似ているというのに、もう一方の目は、不思議な色で輝いているのだった。


ウニ

ジャン・コクトー、澁澤龍彦 訳『ポトマック』河出書房新社

僕はただちに了解した、ペンの先から生れたこのおかしな人物も、無限との対比においては、単なる数であり、星辰の象徴とも言うべき黄金の海胆であり、形式的な一つの記号にすぎないのだということを。


ウニ

フランシス・クリック、中原英臣・佐川峻 訳「1 人間に魂はあるか 」『DNAに魂はあるか』講談社

最もめざましい現代生物学の成果は発生学(最近では発生生物学と呼ばれる)の分野に見られる。受精したウニの卵は通常、何度も分割をくりかえして、最後には成熟した一匹のウニになる。もしも第一回目の分割のあと、そこにできた二つの細胞を別々に培養してやると、やがてそれらは二匹のウニ(といってもサイズは少々小さくなるが)に成長する。そして同じような実験がカエルの卵についても行えることがはっきりした。ウニにしろカエルにしろ、本来ならば一個の成体になるはずの材料から、二つの個体ができ上がったのである。


ウニ

シドニウス・アポリナリス、澁澤龍彦 訳、澁澤龍彦 編「歌章第十八 」『オブジェを求めて』河出書房新社

カンパーニアの岸辺は紫色の海胆で飾られているが、
ここの湖水の魚にだって、海胆の二つの性質はちゃんと備わっているよ。


ウニ

アリストテレス、島崎三郎 訳、澁澤龍彦 編「動物誌第4巻 」『オブジェを求めて』河出書房新社

すべてのウニには卵があるが、或るウニでは非常に小さくて食べられない。ウニでは、頭と称するところと口は下のほうに、排出物を出すところでは上のほうになっている。


ウニ

宮沢賢治、天沢退二郞 編「心象スケッチ春と修羅 」『新編 宮沢賢治詩集』新潮社

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべまたは空気や潮水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です


ウニ

澁澤龍彦「火山に死す 」『唐草物語』河出書房新社

まあ、とにかく、海胆にとっては、おそらく世界は五つの原理によって説明される底のものだったのでしょうね。


ウニ、ヒラメ、ホタテ、ホッキガイ、タイ

川上弘美「惜夜記 」『蛇を踏む』文藝春秋

食卓の中心には、うに、ひらめ、ほたて貝、ほっき貝、鯛、しまあじ、まぐろ、いか、たこ、しらうお、などの盛られた大皿があり、そのまわりには煮たものや焼いたものや揚げたものの皿がぎっしりと置かれていた。


ウニ、タイ、ウナギ

角田光代『空中庭園』文藝春秋

もう入んないって思ったけど、最後の飯蒸が一番おいしくてぺろりとたいらげちまった。ウニ、鯛と、あとは鰻の飯蒸がちょうど一口ずつ。ニレモトさんはよりによってウニを残してる。もったいないと思ってちらちら見てたら、いかがですか、なんて差し出されちゃった。もらいたいけどもらうわけにいかないだろ、よく知りもしない人の食べ残しなんて。


ウナギ

四方赤良、秋山虔・桑名靖治・鈴木日出男 編『日本古典読本』筑摩書房

あなうなぎいづくの山のいもとせをさかれてのちに身をこがすとは


イワシ、ウナギ

山田風太郎「林芙美子 」『人間臨終図鑑1』徳間書店

昭和二十六年六月二十八日、「主婦之友」に連載する『私の食べ歩き』取材のため、同誌の編集者高下益子とカメラマン同伴で銀座の「いわしや」にゆき、そのあと芙美子の発意で、深川の「みやがわ」にゆき鰻を食べ、午後九時半過ぎに高下記者に送られて帰宅した。
ところが午後十一時過ぎ、書斎兼寝室の中で苦悶しはじめ、胃の中のものを吐き出すとともに呼吸がやんだ。


ウナギ

村上春樹『海辺のカフカ』新潮社

「はい。ウナギはとくにいいものです。ほかの食べ物とはちょっと違っております。世の中にはかわりのある食べ物もありますが、ウナギのかわりというのは、ナカタの知りますかぎりどこにもありません」


ウナギ

村上春樹「シドニー日誌 9月12日 」『Sydney!』文藝春秋

ちなみにパラマッタというのは、「うなぎのいるクリーク」という意味である。アボリジニーはここの川でうなぎをとって食べていたのだろう。今でもうなぎはいるのかなと思って川を見たのだけれど、もちろん見えなかった。緑色に濁って、流れはない。


ウナギ

村上春樹「うなぎ 」『夜のくもざる』新潮社

笠原メイが僕の家に電話をかけてきたのは午前三時半で、当然のことながら僕は熟睡していた。ビロードみたいにふわふわする温かい眠りの泥の中にうなぎやらゴム長靴やらと一緒にすっぽりもぐりこんで、まにあわせではあるにせよそれなりに有効な幸せの果実を貪っていたのである。


ウナギ

三善里沙子『沿線文化人類学 中央線なヒト』小学館

だがたとえば、西荻のフツーの鰻屋でウナ丼をたべていると、カミサンならぬオヤジの声が聞こえてきたりするのです。「ここは神様の通り道ですからね」などと……。


ウナギ

明恵、久保田淳・山口明穂 校注「夢記 」『明恵上人集』岩波書店

忽然に夢に云はく、一つの清く澄める池有り。其の中より鰻の如き魚の跳り挙がる。