本のおさかなさん
小説、詩、エッセイなどの本の中からから、魚や水生動物を集めた辞書型水族館です。
さかな
ベタ、キンギョ
玖保キリコ「金魚殺し 」『ジョーシキ一本釣り』角川書店
そうしているうちに今年の春、石渡Pはあの怒りを忘れたかのように、
「玖保さん、今度は丈夫な金魚を選びましたから」
と言って、濃い血のような赤のベタという種類の金魚を持ってきた。
ちょうどそのとき咲き始めたオランダ・クロッカスという花と同じような色だったので、あ、おそろいだと思った。
バラクーダ、シーラ
村上龍『奇跡的なカタルシスフィジカル・インテンシティ2』光文社
まだアメリカ西海岸です。セリエAが遠く感じられる。一昨日は久しぶりにゴルフをして、昨日はテニスをした。今朝は魚釣りに行った。ゴルフは二年ぶりにしては、まあまあのスコアだった。テニスはまったく足が動かなくなっていた。無理に走ろうとすると転びそうになった。魚釣りは、バラクーダとシーラを釣った。
ハモ
山田風太郎「梁川星巌 」『人間臨終図巻2』徳間書店
妻の紅蘭が、「きのうハモをたんとおあがりなされたのが悪かったのではないでしょうか」というと、「うまかったから沢山食ったのだ。コロリなどではない」といった。
しかるにその翌日、コレラの症状が明らかになった。彼は「男子婦人の手に死せず、お前は隣りにおれ」と妻を去らせて、弟子の頼三樹三郎らに支えられ、正座したまま死んだ。
ハマチ、カンパチ、クロダイ、ハタ、ドチザメ
田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち 」『ジョゼと虎と魚たち』角川書店
底の砂地に、ウツボや蟹、蝦、亀の匍っているのも見られた。恒夫の靴音と車椅子のきしみだけが反響して、ほかに客はいないようであった。長大な、銀と青の魚が、ゆっくりと目の前を横切っていった。ハマチだった。
珊瑚礁に腹をかすめるようにして、カンパチや黒鯛、ハタ、ドチ鮫が目交を過ぎてゆく。
魚たちの眼は乾いて、人間の顔に少しずつ似ていた。
ハマグリ
レイモンド・カーヴァー、村上春樹 訳「父の肖像 」『Carver's Dosen レイモンド・カーヴァー傑作選』中央公論社
私の小さいころにはだいたい毎年ノース・コースト鉄道に乗ってカスケイド山脈を横切り、ヤキマからシアトルに旅行したものである。我々はヴァンス・ホテルに泊まり、たしかディナー・ベル・カフェという店で食事をとった。一度「アイヴァーのはまぐり料理店」に入って温かいはまぐり汁をグラスで飲んだこともある。
ハマグリ、イワシ
「QuickJapan」編集部「椎名林檎大辞典・無欠 」『前略椎名林檎様』太田出版
[九十九里浜]
「歌舞伎町の女王」歌詞より。房総半島の東、太平洋に面して広がる砂浜。ハマグリや鰯を自分で焼いて食べる海の家があるので訪れる際は是非。おいしいので。
ハマグリ
山口瞳『礼儀作法入門』新潮社
いつか、ある酒場の女給を小料理屋へ連れていったら、品書きを見て、ジュースと蛤の吸物と土瓶蒸しと赤だしとノリ茶漬けを注文した。こっちが恥をかく。これは全部ミズモノである。理に適っていないし、腹が張って、とても全部を食べられる(飲める)ものではない。
ハマグリ
萩原朔太郎「月に吠える 」「くさった蛤 」『ちくま日本文学全集萩原朔太郎』筑摩書房
ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴れてゐるのである。
ハマグリ
澁澤龍彦「蜃気楼 」『唐草物語』河出書房新社
その貝のなかで、たぶん蛤であろうか、ひときわ大きな二枚貝の蓋がぱっくり開いたかと思うと、そこから小さな白髪の老翁がちょこちょこと出てきたので、士人はあっとばかりに驚いた。
ハゼ、コイ、スズキ、サカナ
ジュール・ルナール、久保田般彌 訳『にんじん』角川書店
にんじんは、魚の鱗をとっている最中である。川はぜ、鯉、それに、すずきまでもがいる。かれは、包丁でかき、腹をひき裂く。そして、透明な、二重の浮袋を踵でふみつぶす。
ハゼ
天童荒太『家族狩り』新潮社
椎村は無理に作ったことが明らかな笑みを振り向け、
「自分、先日の休み、釣りをしたんですよ、月島で。隅田川。海に流れ込む手前ですけど。ハゼ、小さいのがかなり釣れたんです。泥を吐かして、唐揚げにして食うと、これがなかなかいけるんです。食べきれないんで冷蔵庫に入れてあるんです。自分、ぜひ警部補にも食べてもらいたいなぁって……」
ハゼ、フナ、ゴナ、アジ、オボコ
泉鏡花「悪獣篇 」『泉鏡花集成4』筑摩書房
生憎、沙魚、海津、小鮒などを商う魚屋がなくって困る。奥さんは何も知らず、銑太郎なお欺くべしじゃが、あの、お松というのが、また悪く下情に通じておって、ごなや川蝦で、鰺やおぼこの釣れないことは心得ておるから。
バカガイ
千石涼太郎『酒飲みのための魚のはなし』朝日ソノラマ
死ぬと殻を半開きにして、足をダラーンと出してしまう姿、これがいかにもバカが舌を出しているように見えたことから、バカガイと呼ぶようになったそうだ。そう聞くとしかたがない気もするが、ネーミングがこの貝のグレードを下げる結果になっているのは気の毒である。
パーチ
ヘミングウェイ、瀧口直太郎 訳『キリマンジャロの雪』角川書店
パーチはバケツの中を泳いでいた。ニックは両手でそのうちの三匹をつかまえると、頭をもぎとり、皮をはぎとった。一方、マージョリーもバケツの中を両手で追いまわし、やっと一匹をつかまえ、頭をちぎり、皮をはいだ。ニックは彼女の手に持った魚を見やった。
ブリ
佐野洋子「贈り物 」『ふつうがえらい』新潮社
私はある友達に突然ふとんを二組車にのっけて持って行ったことがあるそうである。「ふとんのお土産というの初めてもらった」とその友達はあきれていた。家族中でしょっ中泊りに行っていて、私達が行くとこたつのふとんまで引っ張り出していたからである。他の友達のところに私は鰤を一本ぶらさげて行ったことがあるそうである。
ブリ
川上弘美『センセイの鞄』平凡社
湯豆腐を私は注文し、センセイはブリの照り焼きを頼んだ。そうだ、クリスマスです。緑のコートに赤いセーター、茶色いズボン、樅の木みたいですね。センセイが少し高めの声で、言った。もうお正月ですけれどねえ。わたしは答えた。クリスマスは、ツキコさん、恋人と過ごしたりしましたか。センセイが聞く。しませんよ。恋人、いないんですか、ツキコさんは。ふん、恋人の一人や二人や十人くらい、いますとも。なるほど、なるほど。
サカナ、プランクトン、エビ
マーカス・フィスター、谷川俊太郎 訳『にじいろのさかなとおおくじら』講談社
おなかがすくと、さかなたちはぷらんくとんをたべた。
このちいさなちいさなおいしいこえびみたいないきものは、
いくらたべてもへらないようだった。
ミジンコ、プラナリア
嶽本野ばら『下妻物語ヤンキーちゃんとロリータちゃん』小学館
人という字は一人では成り立たない、誰かと誰かが寄り添い合い、支え合うことによって人という字は出来上がる、だから人は一人でなんて生きてはいけないのだなんてしかつめらしく語る人達がいますが、それなら私は人でなくてもよい、人でなしでも構わないと思うのです。個体として自らの本能のまま生きていくミジンコでいい、プラナリアでいい、そちらの方が寄り添い合ってしか生きられない人間よりも、遥かに生物として自立していると思うのです。