本のおさかなさん

小説、詩、エッセイなどの本の中からから、魚や水生動物を集めた辞書型水族館です。

さかな

アジ

三善里沙子『沿線文化人類学中央線なヒト』小学館

なお「荻窪ルミネ」こそは、どんな格好でも気後れせずにいける、中央線オバサマのオアシスなんです。
たとえば、すでに観光地化した吉祥寺のデパートに行くのには、やや気を使いますし、「新宿ルミネ」はコギャルでいっぱいですが、「荻窪ルミネ」は、野菜やアジのひらきを持ったまま普段着で出かけることができるからです。


アジ

妹尾河童「コーチン 」『河童が覗いたインド』新潮社

近くの喫茶店へ行って、魚を焼いてくれないか、と絵を描いて頼んでみた。気持ちよく引き受けてくれたので、露天魚市に引き返し、アジを1尾だけ買った。ちょっとボラれ、25パイサ(7円50銭)だった。


アジ、イワシ、サバ、ニンギョ

川上弘美「離さない 」『神様』中央公論社

毎朝鰺か鰯か鯖を人魚に食べさせて、そのあとに会社に行かねばならないのが特につらかった。


アジ

川上弘美「婆 」『物語が、始まる』中央公論社

電話の鰺夫はいつもだるい。だるい声を出してあまり喋らない。
あまり喋らないが、電話をする。住所不定なので、鰺夫から電話をしてくる。鰺夫からの電話なのに、鰺夫は何も言わない。


アシカ

ウィングフィールド、芹澤恵 訳『フロスト日和』東京創元社

夜勤の守衛は、アシカを思わせる口髭をたくわえ、いかにも朗らかそうな風貌をした年配の男だった。両端の垂れた太い口髭が、脂に染まっていた。


アサリ

綿矢りさ『蹴りたい背中』河出書房新社

しかし、この彼はどっかおかしい。何が間違っているのか分からない、けれどこの人をじっと眺めていると、味噌汁の、砂が抜けきっていないあさりを噛みしめて、じゃりっときた時と同じ、ものすごい違和感が一瞬通り過ぎていく。分からなくてもどかしい。どこかな、何かが間違っているのかな。


アサリ、ハマグリ、ミジンコ

萩原朔太郎「月に吠える 」「春夜 」『ちくま日本文学全集萩原朔太郎』筑摩書房

浅蜊のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みぢんこのやうなもの、
それら生物の身体は砂にうもれ、
どこからともなく、
絹いとのやうな手が無数に生え、
手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。


アサリ

川上弘美「中くらいの災難 」『椰子・椰子』小学館

部屋に帰って浅蜊の砂を吐かせていると、今度は耳が厚ぼったくなったような感触がある。


アサリ

内田百間「冥途 」「波止場 」『冥途・旅順入城式』岩波書店

坊主は私の泣いているのを見ると、浅蜊がものに触れた様にふっと口を閉じた。


アザラシ

ダニエル・キイス、小尾芙佐 訳『アルジャーノンに花束を』早川書房

立ち止まって物売りがねじを巻いている機械仕掛けの小さなおもちゃを眺める─とんぼがえりをする熊、とびあがる犬、鼻の先で玉をまわしているあざらし。ちゅうがえりしたり、とびはねたり、ぐるぐるまわしたり。ああいうおもちゃがぜんぶ自分のものだったら、世界一幸せになれるだろうに。


アザラシ、クジラ、ニシン

土屋守「グレンアギー 」『改訂版モルトウィスキー大全』小学館

蒸留所のある東ハイランドのピーターヘッドは古くから漁業の町として知られてきた。かつてはアザラシ漁や捕鯨の基地として栄え、19世紀半ば以降はニシンのトロール漁の最大の水揚げ港として賑わった。しかし漁業そのものが廃れた現在では、かつてのような賑わいを見ることはなくなってしまった。


アザラシ

北原白秋、高野公彦 編「海阪 」「国境安別 」『北原白秋歌集』岩波書店

巻きなだりいやつぎつぎに重き層む波の穂冥し海豹の顔

海豹は頬の髭黄なり孔まろき白き頭骨となりはてにけり


アザラシ

小川未明「月とあざらし 」『小川未明童話集』新潮社

子供をなくした、親のあざらしが、夜も眠らずに、氷上の上で、悲しみながらほえているのを月がながめたとき、この世の中のたくさんな悲しみに、慣れてしまって、さまで感じなかった月も、心からかわいそうだと思いました。あまりに、あたりの海は暗く、寒く、あざらしの心を楽しませるなにもなかったからです。


アークティック・チャー、ホッキョクイワナ、グレイリング、カワヒメマス

星野道雄「ベーリング海の風 」『イニュニックアラスカの原野を旅する』新潮社

流れの曲折部には時折深いプールが現れ、水の中にアークティック・チャー(ホッキョクイワナ)やグレイリング(カワヒメマス)がいないかと目をこらした。忘れられたような川なのに、ここには川のもつあらゆる美が集約されていた。