本のおさかなさん

小説、詩、エッセイなどの本の中からから、魚や水生動物を集めた辞書型水族館です。

さかな

キンギョ

室生犀星「蜜のあわれ 」『蜜のあわれ われはうたえどもやぶれかぶれ』講談社

はかない人間がはかない事を書くのは当り前のことだわよ、金魚の事は金魚のことしかかけないし、人間は人間のことしか書けないのよ。


キンギョ

室生犀星「蜜のあわれ 」『蜜のあわれ われはうたえどもやぶれかぶれ』講談社

「金魚はおさかなの中でも、何時も燃えているようなおさかななのよ、からだの中まで真紅なのよ。」


アンコウ

トーベ・ヤンソン、冨原眞弓 訳『小さなトロールと大きな洪水』講談社

ええ、そうですね。世界じゅうから、いろんな生きものがここをおとずれましたよ。スナフキン、海のおばけ、小さな生きもの、大きな生きもの、スノーク、ヘムル、といろいろです。アンコウがお客になったこともあります。


イルカ、アザラシ、セイウチ、クラゲ、ナマコ

澁澤龍彦「海ウサギと海の動物たち 」『私のプリニウス』河出書房新社

そういえば日本語でも、イルカは海の豚であり、アザラシは海の豹であり、セイウチは海の象であり、クラゲは海の月であり、ナマコは海の鼠である。ベロンの筆法を借りて、地上のネズミと海のネズミのどこが似ているのか、と文句をつければつけられないこともあるまい。


サカナ

澁澤龍彦「海ウサギと海の動物たち 」『私のプリニウス』河出書房新社

十六世紀フランスの博物学者ピエール・ベロンは魚の味方だったから、次のように述べて、世に行われる動物の命名法の不公平を指摘している。すなわち、「地上動物の名前のほうが、海の動物の名前よりも先につけられた。そのために、海の魚の大部分が地上動物の名前をつけられることになってしまった。地上のウサギを知らないひとはいないであろう。いったい、地上のウサギと海のウサギのどこが似ているのか」


キンギョ

トーベ・ヤンソン、山室静 訳『ムーミン谷の仲間たち』講談社

その竜は、ほんのマッチ箱ほどの大きさでしたが、きんぎょのひれのようにうつくしい、すきとおった羽をうごかしておよぎまわるすがたは、このうえもなく上品でした。


サカナ

トーベ・ヤンソン、山室静 訳『ムーミン谷の冬』講談社

さかなスープのさらが、用心ぶかく空中をすべってきて、ムーミントロールのまえで、テーブルにのっかりました。


サワラ

『食彩の王国』扶桑社

ところが、江戸時代、岡山藩主の池田光政が庶民に一汁一菜の御触れを出し、贅沢な食事を禁じてしまった。それならば、と庶民は寿司飯にサワラと野菜を一緒に混ぜ込んでひと品にしてしまった。こうして生まれたのがばら寿司だ。


ピラルク

川上弘美「ピラルクの靴べら 」『パスタマシーンの幽霊』マガジンハウス

もう少しして、さらに大人になったら、いつかきっと弥生ちゃんに連絡してみよう。水族館に、また行ってみよう。ピラルクを一緒に見て、さみしい気持ちになりあおう。それから、今度はわたしが作ったお弁当を、二人で食べよう。


ホッケ

川上弘美『古道具、中野商店』新潮社

「あれ、食べすぎすよ」
「ほんとに?」
「おれのじいちゃんが、太るとあんなふうだった」
「ホッケとかじゃがいもとか、いっぱい食べてきたのかな」
「ジンギスカンすね」タケオはきめつけた。


カツオ

多和田葉子『球形時間』新潮社

「俺は、太陽を崇拝している。」
「え、崇拝?」
「太陽がなかったら、生命はないんだ。人間も動物も植物も生きられない。それに、太陽は何よりも古い。」
カツオは唸った。やっぱり、この人、ファンタジーかマンガの読み過ぎらしい。


サケ

川上弘美「夜になると鮭は… 」『光ってみえるもの、あれは』中央公論新社

「ケーブルテレビの線に、鮭がどすんとぶつかるところが、わたし好きなの」と平山水絵は両手で本をささえたまま、言った。


キンギョ

川上弘美『ほかに踊りを知らない。』平凡社

帰りがけに、裏庭の金魚のお墓を見せてもらう。棒が十ほども地面から突き出ており、それぞれに「照代」だの「正樹」だのと書いてあった。


メバル

川上弘美「鼹鼠 」『龍宮』文藝春秋

好きなたべものは魚で、魚はめばるがとくに好きで、めばるを釣ろうと海辺に座っていたら猫がきて、猫は白と黒と茶のだんだら縞で、猫は昔殺して食っちまったことがあるけど、猫はおいしくなかった。


ジュゴン

池田和子『ジュゴン 海の暮らし、人とのかかわり』平凡社

ジュゴンを捕ると津波がやってくるという古くからの言い伝えは沖縄のあちこちで見られ、ジュゴンは八重山では恐れられる海の神であった。


モクギョ

星新一「責任者 」『妖精配給会社』新潮社

住職は耳が遠かったし、また職業柄、逃げ出すわけにもいかない。香をむやみやたらにたき、木魚をたたき、読経の声をはりあげた。エス氏をはじめすべての者が、念仏やらお題目やら、思いつく限りのあらゆる祈りの文句を口にした。


サカナ

マルキ・ド・サド、澁澤龍彦 訳「悲惨物語 」『ソドム百二十日』河出書房新社

昼の食事は、ふたりの学友および女家庭教師といっしょに、家族とは別に供された。食事は野菜と魚と菓子と果物で、肉やポタージュや葡萄酒やリキュールやコーヒーはけっして出されなかった。


サカナ

出隆 訳『エピクロス 教説と手紙』岩波書店

けだし、快の生活を生み出すものは、つづけざまの飲酒や宴会騒ぎでもなければ、また、美少年や婦女子と遊びたわむれたり、魚肉その他、ぜいたくな食事が差し出すかぎりの美味美食を楽しむたぐいの享楽でもなく、かえって素面の思考が、つまり、一切の選択と忌避の原因を探し出し、霊魂を捉える極度の動揺の生じるもととなる様々な臆見を追い払うところの、素面の思考こそが、快の生活を生み出すのである。


サカナ

スッタニパータ、中村元 訳『ブッダのことば』岩波書店

水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。


サカナ

ジョン・フィッシャー、開高道子 訳『アリスの国の不思議なお料理』新潮社

また、鏡の国の宴会では、アリスはスープやお魚料理をいただくことができず、エチケットは羊の肉をお相伴することを宥されませんし、酒びんはお皿と不思議な結びつきをした翼を生やしてしまいます。