本のおさかなさん
小説、詩、エッセイなどの本の中からから、魚や水生動物を集めた辞書型水族館です。
さかな
クジラ
宮部みゆき『龍は眠る』新潮社
生駒は目をぱちぱちさせていた。「俺がつかんだ情報じゃ、明男が今の夫人を見初めたんだってことになってたぞ」
「ああ、そりゃ表向きのことですよ」清水がひらひらと手を振る。
「そうかねえ。俺も、表向きのことに騙されるほどヤワじゃねえつもりだが」
「ただ、フィールドが違うでしょう。いくら名手でも、象射ち銃を持って南極へ行ったって、鯨は捕れないやね」
クジラ、セイウチ、アザラシ
星野道雄「ベーリング海の風 」『イニュニックアラスカの原野を旅する』新潮社
あたりのツンドラは、何者かがまき散らしたように無数の白い骨でおおわれている。巨大なクジラのあご骨、牙の抜けたセイウチの頭骨、アザラシのあばら骨・・・・・・足の踏み場もない混沌とした風景が、波のように寄せる霧の中から現れては消えてゆく。
クジラ
小林賢太郎『Hana-Usagi 1』講談社
鼻兎はトレーラーに乗るのは少し怖かったので、
コンベアーからひょいと飛び降り、滑走路を散歩することにしました。
「うーん、広い」
鼻兎は飛行機をもっともっと近くで見たくて、
鯨の絵が描いてあるジャンボジェットに向かって歩いていきましたが、
怒って走ってくる大人たちに捕まってしまいました。鼻兎は結局、飛行機に乗れませんでした。
クジラ
有島武郎「生れ出づる悩み 」『小さき者へ・生れ出づる悩み』新潮社
船はもう一個の敏活な生き物だ。船縁からは百足虫のように艪の足を出し、艫からは鯨のように船の尾を出して、あの物悲しい北国特有な漁夫の懸声に励まされながら、真暗に襲いかかる波のしぶきを凌ぎ分けて、沖へ沖へと岸を遠ざかって行く。
コンブ
糸井重里 監修、ほぼ日刊イトイ新聞 編『オトナ語の謎。』新潮社
[マストとウォント]
マストは「やるべき」ことで、ウォントは「やってほしい」こと。じゃあ「ウォント」はなくても許してもらえるかというと、必ずしもそうではなく、けっきょく先方は両方要求していたりする。微妙な話だなあ。
「次回のおでんにおいて、だいこんはマストですけど、ちくわぶはウォントです。こんぶはマストに近いウォントです」
ゴルキ
洲之内徹「ゴルキという魚 」『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社
夏目漱石の『坊っちゃん』の中にゴルキという名の魚が出てくる。その魚のことをちょっと書かせていただきたい。小説の中で、骨が多くって、まずくって、とても食えない、ただ肥料にはできるそうだ、と書かれている、そのゴルキの名誉のために、ひと言いわせてもらいたいのである。
コヤスガイ
川端康成『現代語訳 竹取物語』新潮社
「今一人のお方には、唐土にある火鼠の裘が頂きとうございます。大伴大納言には、龍の首にある五色に光る玉──それが頂きとうございます。石上中納言には、燕の持っている子安貝──それを一つ、取ってきて頂きとうございます。」
キンギョ、ランチュウ、オランダシシガシラ、キャリコ、コメット
岡本かの子「金魚撩乱 」『きんぎょ』ピエ・ブックス
この試験所へ来て復一は見本に飼われてある美術品の金魚の種類を大体知った。蘭鋳、和蘭獅子頭はもちろんとして、出目蘭鋳、頂点眼、秋錦、朱文錦、全蘭子、キャリコ、東錦、――それに十八世紀、ワシントン水産局の池で発生してむこうの学者が苦心の結果、型を固定させたという由緒付の米国生れの金魚、コメット・ゴールドフィッシュさえ備えられてあった。
コウテイペンギン、ペンギン
角田光代『空中庭園』文藝春秋
飼育係がやってきて、細長い魚を宙に放る。ペンギンは必死になってそれに食らいつく。投げられる魚は薄水色の空に銀色の筋を描き、生ぐさいにおいが鼻を突く。岩で仕切られた隣の柵ではアシカたちが、皇帝ペンギンたちの餌に気づいて、岩にはりついて飼育係に熱い視線を送っている。
「ねえ、見ていたらおなか空いちゃった。あたし焼きそば食べたいなー」
ミーナは餌やりに早くも飽きて、ふりかえってぼくに言う。
コイ
ザッヘル=マゾッホ、種村季弘 訳『毛皮を着たヴィーナス』河出書房新社
「遊びはもう終ったのだよ」彼女は情なげな冷酷さをむき出しにして言う、「これからは本気だよ、この薄野呂め!お前は笑い物のおたんこ茄子さ、あろうことか私に、この傲慢で気まぐれな女に、狂気に目がくらんで自分から玩具にして下さいと身を投げてきたのだからね。お前はもう愛人でも何でもない。私の奴隷さ。死ぬも生きるも私の気の向くままの、俎の上の鯉なのだよ。
コイ
ミッシェル・ジュヴェ、北浜邦夫 訳『睡眠と夢』紀伊國屋書店
魚に逆説睡眠の必要がないのは、なぜでしょうか?例をひとつあげただけでも、このような謎がでてきます。私は神経発生の仕組みの違いによって、こういう差がでてくると考えています。変温動物の場合、神経細胞は生きている限り分裂し続けます。六十年生きている鯉でも、神経細胞は分裂しているのです。反対に恒温動物では人間では三ヶ月、ネズミの仔にしても猫の仔にしても三週間もすると、すべての神経細胞は分裂増加をしなくなり、いずれ死んでいく運命にあるのです。
コイ
吉田兼好、西尾実・安良岡康作 校注「徒然草第百十八段 」『新訂 徒然草』岩波書店
鯉の羮食ひたる日は、鬢そゝけずとなん。膠にも作るものなれば、粘りたるものにこそ。鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。
コイ
麺通団「麺通鯉綾上町・池内 」『恐るべきさぬきうどん麺地創造の巻』新潮社
横で常連らしいおっちゃんが、鯉を見ながらゆっくりとうどんを食いよる。と、箸で1本うどんをつまんでピッ!と池に投げ入れた。チャバチャバッと鯉が集まって来てうどんをパクッ。
コイ
中島敦「狐憑 」『李陵・弟子・山月記』旺文社
今までにも憑きものした男や女はあったが、こんなに種々雑多なものが一人の人間にのり移った例はない。ある時は、この部落の下の湖を泳ぎ回る鯉がシャクの口を借りて、鱗族たちの生活の哀しさと楽しさとを語った。
コイ
田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち 」『ジョゼと虎と魚たち』角川書店
アタイはなあ、鯉が何十ぴきもいる池があって芝生にブランコのある庭で、遊んどってん。昔のウチは大きかってん。──などとジョゼは恒夫に自慢するが、それは本やテレビで見た世界である。